坪内祐三が死去【死因:病気で心不全?】妻:佐久間文子との馴れ初めは?


文芸評論家でエッセイストの坪内祐三さんの死去が報じられ、多くの悲しみの声が寄せられています。

朝日新聞によると、坪内祐三さんの訃報を以下のように報じています。

評論家の坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう)さんが13日、死去した。61歳だった。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午前9時半から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は妻文子さん。

元ダイヤモンド社社長の坪内嘉雄さんの長男として生まれた坪内祐三さんですが、雑誌「東京人」編集者を経て独立。

コラムや書評・評論などを執筆した坪内さんは、ストリートワイズ、靖国、古くさいぞ私は、人声天語といった著書を持ち、酒中日記などの日記エッセーも数多く手がけました。

ここではそんな坪内祐三さんの死因や、妻・佐久間文子さんとの馴れ初めについてまとめました。



坪内祐三が死去!死因は病気で心不全?

大きく報じられている坪内祐三さんの訃報ですが、その死因はいったい何だったのでしょうか。

現在までに確認できている朝日新聞と産経新聞の報道によると、ともに坪内祐三さんの死因についての言及無し。

なおもその死因について調べていたところ、読売新聞で心不全で亡くなったとの報道を確認しました。

心不全といえば心臓の病であり、一般的に急死も少なくないという印象のある病気です。

61歳という年齢で13日に死去されたという坪内祐三さんですが、報道のコメント欄にはその早すぎる死を悔やむ声が多く寄せられています。

週刊SPAの福田先生との対談連載大好きでした!本当に早過ぎる…残念です。

坪内祐三と妻の佐久間文子との馴れ初めは?

坪内祐三さんと妻の佐久間文子さんが結婚に至った馴れ初めとはいったい何だったのでしょうか。

1998年の暮れ頃に交際が始まり1999年頃に結婚したという坪内祐三さんと佐久間文子さんですが、そのきっかけについて言及している情報は確認できていません。

しかし、ある日記記事「私写真集といわれる向きもある『たまもの』」では、坪内祐三さんや佐久間文子さん、また坪内さんの元妻である神蔵美子さんについてこのように記載されています。

この本によれば神蔵美子は1990年春頃に『東京人』編集者の坪内祐三と北島敬三を介して出会ったという。その時の坪内の風貌は「一澤の黒い布ショルダーバッグを肩からさげてジーパンにぎょうざ革靴をはいて、開衿シャツを着て」おり、「挨拶しても人の目を見」ず、「ほんの少しどもっていた」そうだ。坪内は当時、婚約者がいたらしいのだが、人妻たる神蔵からのアプローチによって1990年11月24日頃婚約破棄をしてしまい程なく同棲し結婚したようである。しかし神蔵はいつ頃からか30年連れ添った妻のいる末井昭に惹かれてゆき、1996年には末井との同棲を始め、1998年9月頃坪内と正式に離婚したようだ。坪内は1998年の暮れ頃現在の妻であると思しき佐久間文子と付き合いだしたようであるが、これは恐らく離婚後であるから、神蔵に比して坪内は至極真っ当であるように思われる。不倫を始めた神蔵に対し坪内は本書で記されている限りでは些かも憤慨しておらず、卑屈になるわけでもなく、(都会っ子的なのか)クールに構えている風である。

坪内祐三さんと佐久間文子さんの馴れ初めについては詳細に言及されていないものの、その前後の経緯などがわりと詳しく書かれています。

この日記記事の真偽については明らかではありませんが、もし本当であれば坪内祐三さんが離婚後に佐久間文子さんと付き合いだし、そして翌年には再婚したという展開だということになるでしょう。

SNSやネットの反応

今回の報道で世論はどのように反応しているのでしょうか?

SNSやネット掲示板への書き込みを紹介します。

信じられない、早過ぎますよ。
『靖国』で坪内さんを知りました。広い守備範囲とユニークな視点は、わたしの読書のガイドとして、
たいへん有益でした。文春の連載も終わりですね。
本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

文中にもあるけど、やっぱり、東京人…
あの素朴なB5版の雑誌
日本の図書の地域資料の在り方にまで影響を及ぼした
今はなんか派手派手していて、東京人らしくなくなってしまった





最後までご覧いただきありがとうございます。
当サイト・バズインフィニティでは、気になる話題を事実に基づき発信しています。
ブックマークやシェアボタンをクリックしていただけますと運営の励みになります。