【死因:心臓突然死】山本哲也(阪神OB)が死去→経歴学歴プロフィールは?家族の弟は阪急ブレーブス山本公士



こんにちは。バズインフィニティ編集部の天野です。

阪神OBの山本哲也さんの死去がヤフートップで報じられています。

阪神は16日、OBの山本哲也さんが13日に心臓突然死のため、熊本市内の病院で亡くなったことを発表した。85歳だった。

デイリースポーツもこのように報じている阪神OBの山本哲也さんの死去ニュース。

プロ野球を現役引退後は阪神でコーチ、スカウト、スコアラーも務めたの山本哲也さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。



山本哲也(阪神OB)の経歴学歴プロフィールは?

生年月日1934年9月26日、熊本県熊本市が出身地、身長170cm、体重64kgという山本哲也さん。

熊本工業高校で山部儒也らとバッテリーを組み、捕手として1952年夏の甲子園予選西九州大会決勝へ進出しました。

右投右打でポジションは捕手、プロ入り1953年、初出場1953年、最終出場は1964年でした。

1964年に引退してからは、阪神で二軍バッテリーコーチ、一軍ブルペンコーチ、スカウト、スコアラー、業務部次長記録担当を歴任。

退職後は阪神・淡路大震災以降、故郷の熊本へ転居していました。

山本哲也(阪神OB)の弟は阪急ブレーブス山本公士

山本哲也さんの弟は元プロ野球選手で阪急ブレーブスに所属していた山本公士さん。

熊本工業高校で1960年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会準決勝に進出。

甲子園こそ出場できませんでしたが、卒業後は三菱造船長崎に進んでいます。

山本哲也さんと同じく右投右打でポジションは外野手だったという山本公士さん。

プロ入りは1963年、初出場1964年、最終出場1970年というプロ野球キャリアでした。

引退後は阪急でスカウトとして九州地区を担当し、松永浩美などの名選手を入団させています。

SNSやネットの反応

今回の報道で世論はどのように反応しているのでしょうか?

SNSやネット掲示板への書き込みを紹介します。

rfm*****
山本哲也は、1959年のいわゆる「天覧試合」でスタメンだった捕手である。
試合は長嶋茂雄のサヨナラHRで巨人が勝った。

打たれた村山実は「あれは絶対にファール」と生涯言い続けていたと言う。

村山氏が亡くなった後、この山本氏が「あれはホームランでした。でも、村山が亡くなったからこれからは僕が『あれはファールだった』と言わなイカンのかな…」と語っていた(「ベースボールマガジン」の本で見た。)

sta*****
小柄でしたが、ガッツのあるいい選手でした。

yuu*****
天国で金田さんとバッテリーを組んでください。



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